っと、返事があったのか

id:judge:20050310


Fateに関して、桜ルートでの不満ってもう一つあるんだよね


「戦闘シーンが少ない?」


そう
アクションものを期待していたらホラー見せられたような感覚
がっちんがっちんチャンバラやって欲しかったのにね
凛ルートでギルガメッシュ戦があってもいいと思うのもこれと同じ理由でさ
番長を倒した後に裏の番長が出てこようが、ラスボスが第二形態になろうが、主人公が格好良い新必殺技使って活躍できるならそれでいいじゃん、という話




あと、Forest遊んだ直後に感じたことを思い出した


『何処のレビューサイトを見ても、
『とても面白いが万人には勧められない』
フォークロアなどにある程度の知識があるなら文句なしでお勧め』
といった類の感想が溢れている
で、知識が無いので全然面白くなかったという意見はとても少ない
この作品は、そこそこの雑学知識持っているオタクの優越感を擽るという点において非常によくできているんじゃないか』


こんな感じだったかな
捻くれた見方だとは思うが、表層的にはそう間違っていないと思う
映画好き(マニアに非ず)が、オースティンパワーズ見ながら『俺って映画通』などと優越感に浸っている光景には思えた


「捻くれたもんだね」


誤解の無いように言っておくと、先日紹介したレビューは、それらの自己満足とは一線を画た内容だと思うよ
僕とか、ト書きと音声を別々に流す演出が後半少なくなって残念だ、くらいのことを書いた記憶もある
このレビュー読んで普通に感心したしな


「カーニバルのリドルがかったるい、とか?」


それは、今も




腐り姫
別にこれにケチつける気はない
が、蔵女が四日間のループ作った理由は少し興味がある


「物語的な必要性とかじゃなくて?」


キャラクターとしての理由の方
CROSS†CHANNELの場合は、ハッピーエンドを求める太一が何度でもやりなおせる閉鎖空間として皆をループに取り込んだわけだろ
で、太一は自分が取り込んだという自覚はないまでも、ハッピーエンドを求めて行動する
蔵女の場合、五樹に記憶を取り戻させるという目的はあったが、それはループする世界である必要はあったのか
極端な話、事の顛末を話して聞かせて記憶に関わる場所を連れまわすという手段もあった
話としては極めてつまらんがな
で、太一と違って、失敗を前提にする必要がない以上、ループを用意する必要があったのか、と
五樹が記憶を持ち越せないということは、記憶の復活すらリセットされるということだろ


Ever17の方式じゃん?
プレイヤーは世界が繰り返していることを知っている
それは五樹の中の超越者の視点であり、超越者が全ての記憶を取り戻した時点で彼は自身を認識できた」


ふむ
そんなところ、かな?
うろ覚えなので見当外れの可能性もあるけどね




で、CROSS†CHANNEL
人気投票に関しては何とも言えんね
前半部のトリを勤めたミキが高順位であることが問題だとは思わないし、別にメインヒロインがいなきゃいけないとも思わない
曜子は好きだけれど、この話の中心にいるのは太一という個人だろ
太一の成長を書くのに、恋愛要素の対象にメインヒロインを据えることは必須か否か


「太一がループの世界に残った点については?」


あの世界って、太一が自分の願望を叶える為に他の七人を取り込んだわけだろ
世界自体が安息の地としての閉鎖環境
閉じられた世界の中に、ハッピーエンドが無いと理解したことで、太一は他の七人を閉鎖環境から外の世界へと送り出す
彼らは、元の世界に戻ることでラジオが通じるようになる=外界と繋がる
閉鎖環境の肯定はしていないと思うのだが

みんなが、ここにいる
単に、放送部員がいるという意味だけじゃあない
幾多の嘘と騙しの上に成立した、仲良しこよしの残骸だ
そんなものが、この世界に生きる俺たちの寿命を心の崩壊までのリミットを、少しだけ延ばしてくれる


たまにさ、周囲の人間のこと、どうでもいいって思っちゃうことってない?
俺はたまにある たまにね
けど……完全にそうなったらおしまいだ
頑張って生きないとな
少しでも奴らに尻尾を振って、あの普通の人とかいう連中に、媚びをうってでもさ……生きんと


放送部の面々は基本的にコミュニケーション能力に欠陥を持っているが、その中で他人というものの必要性を一番知っていたのは太一だと思う
理解はともかくとしてね
だからこそ、太一だけがバラバラになった放送部のメンバーが元通りにしようとしていた


「でも、太一自身は残ってるよ」


あれは逃げかな
自分を†(ダガー)と称する通り、太一は自分が容易く他者を傷つけてしまうことを恐れていた
直前まで、否応なく自分の願望に友人たちを巻き込んでいたわけだしね
『思い出さえあれば、それだけを抱えて生きていける』
とも言っていた
結果は、孤独による発狂で自殺寸前にまで追い込まれたわけだが


孤独への絶望を経て、初めて太一は他者を求めということを理解できるようになり、ラストのあの放送でのメッセージに繋がっているんじゃないかな、と
あの状況において、太一が取りうる唯一のコミュニケーション手段が放送
孤独の中、それでも外界へのメッセージを送り続けている、というエンディングだろう



simulaさんの言う
CROSS†CHANNELが描こうとした物は、人は本来孤独であり、それでも人は他人を求めずにはいられないという観念的な物だと思うのです
最後に太一が一人で取り残され放送をしますが、あれはそういったことのメタファーでしょう』
という意見には納得した




と、長々と書いておいてなんだが、別に他人がCROSS†CHANNELを低評価しているからどうだってワケでもなく
腐り姫と別個の作品として成立しているってことが言いたいだけなんだけどな
的外れな事を言っていると思ったり、手間なようだったら適当に読み流しておいてください