『流れる砂』読了

畝原シリーズは、どんなキャラでも死ぬときは死ぬことが分かった
まあ、読んでいて鬱々としてくる話だったが


「キャラが死ぬから?」


それはどうでもいいのだけれど、出てくる話が一々生々しい
万引きしているところを取り押さえられて、。金切り声で警備員を罵り始める夫婦の話とか、本筋と全く関係ないところで嫌な気分に
話自体は当然のように面白かった


好きだったのは占い師の話
『教育と、医者と、宗教と、占いは、料金が高いほど質が悪い』
学費のばか高い学校は金で学歴を買う為にあり、
大したことのない病気に、無闇矢鱈と薬や治療法を薦める医者は藪であり、
まともな宗教は信者の生活が苦しくなるようなお布施を求めず、
壺売りたがるような占いは信用できない
ある一面においては真理だ



で、少し考えたこと
畝原シリーズもススキノハードボイルドも、主人公である探偵は報道関係者のコネをフル活用するわけだ
言ってみれば、一枠フェイトで五枠トーキー


「うん、で?」


僕は基本的に五枠のトーキーを要らないと考える性質だ
別にラストの<<暴露>>がなくても陰謀は叩き潰せるし、クロマクは逮捕されるだろ
で、小説においてトーキーが活躍する理由は何なのか


「イヌが自発的に動かず、キャストは直接的な攻撃力を持たないから」


だな
フェイトが集めた情報からトーキーがそれを<<暴露>>し、イヌが<<制裁>>で逮捕するという流れ<<暴露>>が、事件を解決に導く為の条件として設定されているのが大きいんだと思う
これに対して、N◎VAの一般的なアクトで<<暴露>>の使いどころとされているのはエンディングフェイズ
アクト内において、後始末としての意味合いしか無いことが不要感に繋がっているんじゃないかな


「というか、ブラックハウンドは最初からやる気に溢れているし、カット進行中に<<制裁>>使えるし、一人位は殺し屋がいるし、そもそもフェイトが銃を撃つ
真面目にその辺り追求するとカット進行無くならない?」


無くなりはしないだろうけれど、クライマックスフェイズではなくなりそうだな
調査をしている段階で刺客が襲ってきて、ラストの締めは警察に任せているし


「シナリオ内で表舞台に登場しないクロマクを用意しておくのはどうかな<<暴露>>で神業一つ剥がさないと<<制裁>>が通らない」


ああ、それはカッコ良いな
ちょっと考えてもいいかも




星界の戦旗』の新刊も読んだ
ラフィールとジントの絡みが少なかったので、あまり面白くなかった


「直球だな」


それ以外に、そんなに面白い要素のあるシリーズか?